音楽を語る上で、宗教と音楽は不可分だと考えられます。世界のどんな民族にも宗教があり、そして音楽があります。人間が生きるという事と宗教や音楽は、密接な関係にあります。そんな中、ほとんどの宗教儀礼は全て音楽を軸に構成されています。神や仏といった絶対的な存在に対する祈りが、人々の精神にある根源的な所から、言葉の持つリズムやイントネーションという音楽的要素を伴って発っせられる時、その感情や魂の叫びが音楽の中に織り込まれ、様々な宗教音楽が生まれ出たのでしょう。その一方で文字以外の伝承手段として、言葉や動作にメロディを与えて様式化し、それらを覚えやすくするという実用面も、宗教と音楽の結び付きにおいては重要であったと考えられます。
4世紀頃に、ヨーロッパではミラノ司教であるアンブロシウスによってカトリック教会の典礼に用いる聖歌が整備されました。中国では周代に雅楽が形成され、礼楽思想や音楽理論が生まれます。朝鮮半島においても新羅・百済・高句麗の音楽が発展しました。インドでは仏教音楽の発達期であり、アラビアなどでは、イスラム教以前の音楽が栄えました。いずれも、西洋・東洋とも、なにがしらの宗教や儀式に伴って宗教音楽が発展していきました。我が国でも、古墳などの出土品からみて、固有の音楽があったようですが、飛鳥・奈良時代に大陸との国交によって、様々な文化が伝来すると、一層発展していきます。その中に、雅楽や聲明が含まれ、様々な伝統芸能へ影響を及ぼしました。 たとえば民謡、浪花節、浄瑠璃、能、狂言、そういったものの中には仏教音楽と関係の深いものがあります。
仏教音楽を狭義に解釈した場合、仏教信者でなければあまり接する機会が少ないように感じられますが、実際私達の周りには仏教音楽から派生した音楽がとりまいています。極端にいえば、仏教音楽と関係がないような伝統音楽は数少ないと言っても過言ではないでしょう。日本の伝統音楽を知ろうとする場合、仏教音楽が持つ意義は、西洋音楽を知ろうとする際のキリスト教音楽の探求と何らかわりはないのです。
そもそも聲明とはいったいなんでしょう?聲明は「しょうみょう」と読み、邦楽の中では無伴奏の声楽に属します。遠くインドに起こり、中国を経て仏教の伝来とともに日本へ伝えられました。キリスト教のグレゴリアチャントがそうであるように、仏教の儀式もまた全体が音楽を中心とし、、その他の宗教儀礼もおおよそ音楽を軸に構成されています。言葉や動作の持つリズムやイントネーションという音楽的要素によるのはもちろんですが、神や仏といった絶対的な存在に対する祈りを、人々がその精神の根源的なところから発する時、その感情や魂の叫び自体がすでに音楽なのだともいえましょう。その一方で文字以外の伝承手段として、言葉や動作にメロディを与えて様式化し覚えやすくするという実用面も、宗教と音楽の結び付きにおいては重要であったに違いありません。
写真:『南山進流聲明類聚 附伽陀』
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